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新旧混在!カルチャーが色こく根づく街、秋葉原

「オタクの3大聖地」の一つと言われる秋葉原(他の2つは中野と池袋)。その歴史は青果市場の街、家電の街、パソコンの街、サブカル
チャー(オタク)の街と変遷を遂げてきました。国内外問わず、今もなお多くの人を魅了する秋葉原とは。

江戸から始まった物流拠点としての秋葉原

現在の秋葉原周辺エリアは、徳川家康の江戸入府後に神田川が開削されてできたもの。江戸時代の物流は川や海を使った「水運」によって行われていたため、神田川の流れるこのあたりに船着き場が複数作られ、周囲には青物・野菜や材木などの問屋が多数できました。
青物・野菜の問屋はその後、神田多町(現在の淡路町)に集まり、江戸幕府御用市場として大きく発展していきます(後に秋葉原に移転)。
1870年12月、東京で大火事が起きると、翌年このエリアに延焼を防ぐための火除地(ひよけち)が設けられ、火防(ひぶせ)の神・秋葉大権現(あきはだいごんげん)を祀った「鎮火社」が建立されました。人々はこれを秋葉(あきば)さんと呼び、火除地のことを「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだことから、「秋葉原(あきはばら)」になったとされています。
神田岩本町に繊維問屋街などができたのも、物流と人の行き来に便利だったからです。江戸時代だけでなく、明治以降も秋葉原が東京最大の物流拠点だったことがわかります。
1923年に関東大震災が起き、その復興事業の一環として、1928年神田多町にあった青果市場が秋葉原駅の北側に移転。「やっちゃば」と呼ばれた青物市場には大勢の仲買人や荷物運びの労働者が集まり、活況を呈しました。その後、神田青物市場は大田区に移転したため秋葉原は物流拠点というイメージはなくなりましたが、2005年のつくばエクスプレスが開通によって、人の流れの拠点となったのです。

電気街としての秋葉原

秋葉原は、第2次世界大戦後に「家電の町」、「電気街」としての顔を見せ始めます。
大戦中に焼け野原になった神田・秋葉原界隈には戦後、闇市ができました。その中の1軒でラジオの部品を売ったところ、大変よく売れたため、それ以降ラジオの部品を置く店が増えたとされています。
ラジオは、当時の最先端メディアでしたが、大手の電機メーカーが戦争によって壊滅的な打撃を受けていたため、それに代わって学生の組み立てたラジオはよく売れたようです。こうして、需要と供給が噛み合い、秋葉原の靖国通り沿いにラジオ用の部品を扱う露店商が集まるようになりました。その後、露店が禁止になると、1949~50年頃に、総武本線ガード下には電子部品の店舗が集まって、「電気街」を形成するようになりました。さらには、 1951年に民放ラジオ局放送が始まり、ラジオが人々の娯楽の中心となり、秋葉原では、ラジオを主な商品として販売する商店が次々にオープンします。
1950年代後半になると、いわゆる「三種の神器」として、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目がもてはやされ、家電ブームが起こったため、秋葉原の電気街も活気づいてきます。
その後、1964年に東京オリンピックが開催されたことにより、1960~70年代にはカラーテレビ、1970~80年代にはオーディオ機器やビデオがブームとなるなど、秋葉原のショップの主要商品は時代によって変化していきます。しかし、1989年のバブル崩壊とともに家電不況がおとずれます。この時、秋葉原の救世主となったのがパソコンショップでした。1994年には、家電の売り上げをパソコンの売り上げが上回ったとされ(帝国データバンク調べ)、名実ともに秋葉原はパソコンの街となったのです。また、オタク文化を象徴する同人誌を販売する店が秋葉原にできたのもこのころです。こうして電気街だった秋葉原はオタクの街へと変貌していくのです。

オタクの街としての秋葉原

秋葉原がオタクの街になるきっかけは、同人誌を扱う「とらのあな1号店」が1994年に秋葉原にオープンしたことといってよいでしょう。それまで同人誌は、オタクの一大イベント「コミックマーケット(コミケ)」などで販売されており、常時販売する店舗はほとんどありませんでした。この店舗の周りに、アニメ専門のビデオショップやフィギュアを扱う店が増え始めましたのもちょうどこの頃と言われています。
また、1995年に放送されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の一大ブームは秋葉原を賑わせることになりました。本放送はそれほど話題になりませんでしたが、翌年、深夜に再放送されると一気に火が付き、VHSやレーザーディスクも大ヒット。これに呼応するように秋葉原にアニメ関連のショップが急増したのです。
2001年には、最初のメイド喫茶「CURE MAID CAFE」がオープン。「萌えアニメ」の登場によって、社会的にも「萌え」がブームとなり、メイド喫茶の出店が相次ぎました。このころから中央通りの家電ショップは減り出し、代わりにアニメグッズ、フィギュア、ゲーム、同人誌などのショップが立ち並ぶようになります。秋葉原は「オタクの聖地」と呼ばれるようになりました。

秋葉原から世界へ!注目を集める日本のカルチャー

マンガやアニメ(オタク文化)はその後、クールジャパンの象徴とされ、日本の若者だけでなく外国人からも広く支持されるようになりました。その証拠に、かつて海外からの観光客は家電を買うために秋葉原に来ていましたが、アニメグッズ購入などを目的に訪れるようになったのです。「オタク文化」は、国内外から多くの観光客を集める一大エンターテインメントとなったと言えます。
近年注目されている秋葉原のランドマークの1つが、神田青物市場の跡地にオープンした「秋葉原クロスフィールド」です。「秋葉原をIT産業の世界的拠点にする」という構想のもと再開発され、高層ビルの秋葉原UDX(地上22階、地下3階)と秋葉原ダイビル(地上31階、地下2階)を中心に建設されました。オフィスのほか、飲食店・商業施設、ショールーム、コンベンションホール、各種イベントホールなどがあり、産学連携機能・情報ネットワーク機能を持っているため、IT企業や大学の研究所などが多く入居しています。
また、秋葉原クロスフィールドの東側、秋葉原と御徒町を結ぶ高架下には、50もの職人の店を集めた「2k540 AKI-OKA ARTISAN(ニーケーゴーヨンマル アキオカ アルチザン)」のほか、日本の食をテーマにした「CHABARA AKI-OKA MARCHE(チャバラ アキオカ マルシェ)」などもあり、幅広い層から人気を集めています。昭和を感じさせる電気街や平成を象徴するオタクカルチャーだけでなく、新しい文化情報を発信する街として、秋葉原はいまも注目されています。

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